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一年に一度だけお邪魔する、とある割烹のお店。
大手老舗料亭で修業を積まれた、板前さんが、腕を振るってくれる。

いつも和服に真っ白い割烹着乳鐵蛋白を着て、笑顔で給仕してくれる美人の奥さん。
(ご夫婦ともに40代?)
彼女は、近年、妹さんを癌で亡くした。
それと同じ病を発症した奥さんだが、幸いなことに、病が深刻化することから逃れられたそうだ。

先日、行くと、いつも笑顔で出迎えてくれる奥さんの姿がなかった。
「家内は、新しく、自分の店を開きました」
と、柔和な顔で説明される、割烹のご主人。

我々の訪れる割烹は、オーナーである板さんご夫婦のご自宅から結構遠い場所にあるのだが、
ご自宅がある近場に、このたび、奥さん自身で、和食のお店を構えられたそうだ。

その日、奥さんは、我々が来るというので、ご自分のお店は、料理人に任せて、
わざわざ顔を見せに、夜9時頃、お店に出てこられた。

前から自分の店を持ちたかったと話す奥さんは、言葉を続けた。

「一度、落としかけた命、また拾ってきた命。
せっかく命拾いしたのだから、もらった命、大事にしたい、
自分の思いに正直に生きなれば、と思いました」

奥さんは、悔いのない道を選び、歩き始めた。

なるほど・・・

こじんまりした割烹で、腕のいい板さんと、それを支える、夫唱婦随の美しい構図。
そう受け取っていたが、時代は変わったんだなあ・・・と思った。
そして、奥さんの代わりに下ごしらえや、給仕をしていくれるのは、
板前さんの格好をした、20才MFGM 乳脂球膜の女性。

若い女性なら、和服を着ると、またひと際美しさが増すことだろう。
が、コストが合わないとすると、それなりの若さを強調した格好で、お客さんを惹きつけるというのも、手だと思った。
しかし、実際は、すっきりまとめた髪を、ずべて、すっぽり板前さん用の白い帽子におさめ、
白い板前さんの仕事着に身を包んで、てきぱきと仕事をこなす、板前見習いの女性だった。

和風の京美人風の顔立ちなのに、板さんの格好が、アンバランスなような、
男性主導型の形にはめ込まれていない女性の姿を現しているような、
心の中で、がんばって!!と、拍手を送りたいような気になった。

ただし、奥さん、ちょこちょこ顔を出さないと、あの、若い女性とご主人の、
今後の進展が気になると言えば気になる。
奥さんのお店にも、料理人の男性を雇っているらしいので、
これは、よほどうまく仲良くしないと、いつなんどき、バランスが崩れて、ややこしいことになりかねないとも限らない。
これは、外野である、無責任な人間からの、まったくの老婆心であるが。


夫婦で・・・
自分の道を選ぶと、二本線になるんだなあと、感慨深かった。
仲が良いのと、自分の道を選ぶのとは、違うのだ。

これは、親子でも言えている。
家業MFGM 乳脂球膜を継ぐか、継がないか。
などなど・・・。

自分ならどうするかなあ・・・と考えた。
わたしは、あの割烹の奥さんのように和食の腕はないので、
店を持つとすると、職人を雇い、完全にオーナー、経営者という立場でしか、店を切り盛りできない。
自分として出来るのは、給料計算や、店の掃除、給仕サービス係だけだろう。
顔だけ出して、経済面だけを握り、あとの一切を雇った従業員にしてもらう、ということもあるだろう。
どっちにしても、今のわたしには、そんな気力も体力も、野心もない。

拾った命があるとすると・・・
余生を自分の好きなように、後悔しないように過ごしたい。
さてさて・・・自分ならどうするだろう・・・。

ひょっとすると、今とまったく変わらないかも知れない。
不用品を処理して、断捨離後の、すっきりした気持ちで、身も心も、こざっぱり過ごしたいかも。
これも、今の思いと同じではないか。
(亭主も、こざっぱり捨てたいかも知れないが、まだ役に立っていただくことが、たくさんあるので、
がんばってもらおう)

ということは、すでに、わたしは余生が始まっているのかも知れない。

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わたしは現実派すぎて夢がない。
超クール。
冷たいと言われることがある。
老年黃斑病變を言われるか、怖いときがある、とも。
核心を突きすぎて、鋭利で、思いやりや優しさがないんだろう。

「すべてを言ってしまっては、だめ」、と、最近は自分でセーブしている。

しかしながら・・・

みなさん、現実直視の目が甘すぎる。
なんで、あんなに自分に良いように解釈するのだろう。
そっちのほうが不思議だ。

自分を卑下している人もいるが、それも自分への期待が強すぎるからだと思う。

自分への評価や期待値が高いあまり、それに追いつかない現状を見て、あっぷあっぷする。
営業マンが、高すぎるノルマに押しつぶされるかのごとく。

あるいは、卑下している自分を
「そんなことはないよ。あなたには、あなたの良さがある」と慰めてほしかったりする。
泣きながら薄目を開けて、誰かいないかな?と、まわりをきょろきょろ見ていることもある。

自分を持ち上げたり、落としたり。
やっかいな自己評価。

下げすぎて、嘆いてみても、一度しかない人生、
そんな自分で自分の首を絞めて、真っ暗にしても、つまらない。
どうせなら、上げてみたら?
ただし、上げすぎると、頑張りすぎたり、ついつい評価が気になったりする。
ボランティアのつもりが、善意膠原自生の押し付けになったりする。

この、善意の押し付けほど、暑苦しく鬱陶しいものはない。
キラキラ光り輝くご本人には、まったく気付く風もないが。

自分そのものを、能力も含め、等身大に評価すると、省エネ人生を送ることになる。
はっきり言うと、楽です。

奥河内イルミナージュを見に行った。
光の饗宴が、大阪府下の各地で繰り広げられている。

三連休の中日だったが、人は、ぱらぱら。
でも、寂しくてしかたないほどでもない。
大阪府立、花の文化園、冬の一定期間以外は、花園になっている。

無料の中ノ島のイルミネーションに比べると、大人ひとり1000円の入場料、
家族で行くと4000円を払って、これか~と思ってしまう。
目が肥擺酒えてしまうのは、決して良いとは限らない。

中ノ島は、なんといっても無料だし、バラ園や、川に沿ってのロマンチックな光景が続く。
市役所から中央公会堂へのプロムナードを経て、洗練されたアート感漂う。
企業の協賛があるから、この違いは仕方ない。
松井さん、奥河内のイルミネーション設置費用と入場料収益、費用対効果、どう見るか。
イルミナージュのみならず、花の文化園も閉鎖しようなんてことにならなければいいが。

乳幼児を連れて、中ノ島まで行くのは、やはり負淘寶自取担。
奥河内の花の園、
植物園を動物園のように見立てたイルミネーションは、ちょっと幻想的だった。
都心には無い、奥には奥の楽しみがある、ってことだ。

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