いつぞやの。(使いまわしってやつ)
今日は投青島自由行書の原稿を書きましたーやっと清書したーおっせーよw
お昼ご飯食べる前に!って思って手直し始めたら
結局お昼ご飯は13時過ぎ。
まあ、一人ご飯だから特に誰かに迷惑をかけるわけでもないから
いいんですがね。

今日中にはポストに投函してこよう。
メール送れば済むんだけど、なんとなくわたしは自分の手で書くという
行為をしなければ気が済まない。
なんかこう、手ごたえが感じられないし
その行為護肝を大切にしたい。

こんな時代だからこそ。

昨日は久しぶりに主人とドライブ。
予定が思った以上に早く終わっちゃって、することないし
お金かけずに楽しめるもの。すなわちドライブ!

紅葉スポットに遭遇して、入場料かかるけど行く?行かない?え、行く!
みたいなー
でも、駐車場着いたらもう今日は終わりました、て。
なんじゃい!
時間かいとけー。
というか、意外と近かったことにビックリした。

テキトードライブは色んな発見があって面白いね。
ナビ子に任せるのは味気ない。

そして。
田舎が大好きだ―!!!と叫びたくなったよ。
いっつも言ってる。飽きるほどに。

家に居るのに、パトカーや救急車の音が聴こえたりすると
どうも精神衛生上よろしくない。
主人もわたしも、実公司註冊家の周りの交通量は少ない?んーと
少ないというよりは車道に接してないからね。
どうも参っちゃうよ。

 本書は1994年刊行された「老いと死から逃げない生き方」を改題し、加筆・修正したものです。

 まえがき

 「死に方」は「生き方」です。従って、「死に方上手」は、上手な死に方ということではありません。死ぬまで上手に充実した人生を送るにはどうしたらいいかを、考えましょうということです。
 これまで、日本人は「死」を嫌い、考えないように避けてきました。しかし、「生」の充実のためには、「死の助け」が必要なのです。ちょうど、甘味を増すために塩がいるように。
 繁殖を終えたら(定年、還暦頃)、「死を視野に」入れて生きれば、その後の人生は、随分と締まったものになるはずです。
 今の年寄りは、あまりにも発達したといわれる近代医学に、過大の期待を抱きすぎています。どんな状態でも、病院へ行きさえすればなんとかなるとの思いを強く感じます。
 しかし、年寄りの不具合は、老化か老化がらみに因るものが大半です。残念ながら、近代医学に、年とったものを若返らせる力はありません。だとすれば、いまさら大病院の専門医のところへ押しかけてみたところで、すっかり治ることなどありえません。
「治らないものは治らなくてよい」と明(あき)らめ、「治す」ことを諦めて悪足掻(わるあが)きを止めると、生きるのがとても楽になるはずです。
 もちろん、医療は、人生を安楽に過ごすために利用する一つの手段です。従って、完全に治したいなどという大それた望みではなく、少しでも楽にという気持ちで利用されるのは構いません。
 年寄りは、「老い」にはこだわらず寄り添い、「病」にはとらわれず連れ添う。「健康」には振り回されず、「医療」は、あくまで限定利用を心がけ、「死に時」が来たら、まだ早いなどとぐずらないで素直に従うというのが、上手な生き方だと思います。
 それには、繁殖を終えたら「死を視野に」入れて、「明日死んでもいい生き方」をしているかを、折に触れて点検し、修正を繰り返しながら、その日まで生きることでしょう。
 また、死にかけてから、いろいろな延命手段を講じられても、嬉しくもありがたくもありません。そこで本書では、繁殖を終えた者に対しては、ふだんから 「死を視野に」入れたかかわり方を提案するとともに、これまで、誰も触れてこなかった「延命介護」の問題に斬り込んでみました。
 勝手なことを書き連ねましたが、読者諸兄姉に、いくばくかでも参考になりましたら、望外の喜びです。

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