11月23日、長女と姫路城へ行ってきた。

まず、新幹線から眺望できるお探索四十の麗容に、息を呑んだ。

姫路駅から出ると、そのお城が真っ直ぐ先に見え、胸が躍る。
歩いて行けそうな距離だが、後のことを考え、体力温存を計ってバスに乗る。

観光客向けのループバスだが、駅からの案内表示が分かりにくく、少し残念。
さらに、小さなバス内はぎゅうぎゅう詰めで、道路も渋滞してなかなか動かず、途中で降ろしてもらいたくなる程だ。
連休中日でなく、普段なら、もっと快適なのだろうけれど。

停留所のある大手門前広場で、賑やかにグルメ市をやっていた。

昼食後、「ひめじの官兵衛・大河ドラマ館」に行く。
綺麗な衣裳や小道具を、感心しながら見る。

それから内堀を渡って、いよいよ菱の門をくぐる。
三の丸広場のどこから見ても、天守閣が美しい。
姫路城内は、歴史好きにnu skin 如新とって、それ自体が垂涎の史跡。
官兵衛ゆかりの石垣なども、分かり易かった。
本丸工事中で「はの門」までしか入れなかったが、代わりに「りの一渡櫓」にて黒田家に関する品々が展示されていた。
特に、勢ぞろいした甲冑は、見応えがあった。

小春日和で、紅葉が美しいシーズン、凄い人出だった。
場内の混雑はかなりのもので、西の丸百間廊下では、立ったまま長らく待たされた。

お城に隣接する好古園で、お抹茶を飲んだ。
紅葉に彩られた日本庭園は、最高に風情があった。

帰りはループバスでなく、アーケイド商店街を駅まで歩き、タコピアというフードコートで、明石焼き風たこ焼きを食べた。
ネット情報通り、並んだ甲斐あって、美味しかった。

帰りの新幹線は、行きと反対側に座れたので、チラリと見えた明石の海や、暮れていく神戸の街など車窓を楽しんだ。
京都を過ぎてからフタを開けた、駅nuskin 香港弁のあなご飯が夕食で、これがまた、この日一番の美味しさだった。


朝8時前に出発して、『軍師官兵衛』が始まる前に、帰宅できた。
つまり、片道300Km以上を往復して、かつ姫路城観光を堪能する日帰り旅行が、12時間でできたということだ。
なんとまあ、新幹線のありがたいことか。


大河ドラマをゆっくり観ながら、体中にじわじわと、幸せが行き渡るのを感じた。

わたしのブログは、ひとりツッコミ、ひとりボケ、自問自答、完結型。
本人は、気分スッキリ。
この文体に慣れていたが、ある日、個人にメールを送ったときに、過ちを犯した。
一刀両断、自分を斬る書き方で独植牙り言、つぶやき風の箇所を入れたメールを書いたら、
読んだ方が、ものすごく動揺し、火を噴いた。

「あなたは、二つの顔がある。天使と悪魔だ」

なんと大げさな、と、わたしは、慄いた。

そんなすごいことを書いたっけ???

まったく思い当たる節がなく、とりあえずは、陳謝し、(これは、けっこう腑に落ちなかったが)
その後、送ったメールを一文一文、検証する作業に取り掛かった。

この段落は、こういう意味、次の段落は、ああいう意味、さらに、その次は、こんな意味・・・
だいたいは、文字通りの意味なんですけど・・・
みたいなかんじ。

わたしは、相手を怒らせるような要素は、まったく書いていないつもりだった。
が、くまなく、ひとつひとつ懇切丁寧商鋪裝修にチェックした結果、どうやら、その魔の一文があぶりだされた。

「あまり頑張りすぎず、アンチエイジングも、ほどほどに」
こんなかんじの箇所。
自分が最近、自分や、年齢に関連して感じることで、もちろん、わたしは自分のことを言ったのだが。
(「ほどほどに」の後に、「したいとわたしは思います」が必要だったか?)
読んだ相手は、自分のことだと受け取ったらしい。
(「ほどほどに」の後に「してください」とご自分で付け足した様子)

烈火のごとく怒られてしまったわけだが、反省もした。
誤解を招く書き方を自分では自覚せず、知らず知らずにしてしまったのは、わたしだ。
書き方も反省の余地があるが、内容が、デリケートだったようだ。
お年寄りをへんに刺激してはいけない。
わたしはまだ、本格的な年寄りだと自分のことを思っていないので、気軽に表現しているが、
深刻なお年寄りにしてみると、さらっと笑えないようだ。(その人も、さほど超お年寄りではないが)


わたしのいつものブログの文章は、気をつけなければいけない、と思った。
メールの時は、いちいち念入りに考え、チェックし、送ることになった。
めんどくさくて、メールが遠のきそうにもなった。
というか、思いを書けないメールなど、たんなる事務伝達だ。
もともとメールは、そういうためのものであるが。

怒りスイッチが、意外なところに隠れていることを発見したわたしは、
当然ながら、そのスイッチを押さないよう、丁寧に扱うことになったが、ある意味、距離を置いた。
触らぬ神にタタリなし。

年を重ねた方のプライドたるや、すごいなあ、とも感じた。
尊敬するかといえば、めんどくさくなった。
わたしは、めんどくさいのが、苦手。
腫れものに触るかのごとく、ではあるが、文章を書くのは苦にならないので、
メールを書くときは、相手によって、言旅遊市場葉を選ばなければいけない、と、肝に銘じた。
(なんて、大げさな)
というか、そういう類のことは、むしろ得意だったりするので、じつのところ、なんの苦労もしていない。


ということは、わたしの文章は、じつに、軽いということだろう。
そりゃあそうだ、毎日毎日、ブログを、ちゃらちゃらと、たいして考えもせず、思いつくままに文字にして
アップしているのだから。

心のこもったことを書く場合もあるのだが、
ついつい、演出過剰になってしまう傾向にあり、自分でも困っている。
(という、この書き方自体が、すでに演出過剰)

ということで、文字による、ぺらぺらオシャベリも気をつけなければいけないということだ。
気を悪くされている方々も、大いにおられることだろう。

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一年に一度だけお邪魔する、とある割烹のお店。
大手老舗料亭で修業を積まれた、板前さんが、腕を振るってくれる。

いつも和服に真っ白い割烹着乳鐵蛋白を着て、笑顔で給仕してくれる美人の奥さん。
(ご夫婦ともに40代?)
彼女は、近年、妹さんを癌で亡くした。
それと同じ病を発症した奥さんだが、幸いなことに、病が深刻化することから逃れられたそうだ。

先日、行くと、いつも笑顔で出迎えてくれる奥さんの姿がなかった。
「家内は、新しく、自分の店を開きました」
と、柔和な顔で説明される、割烹のご主人。

我々の訪れる割烹は、オーナーである板さんご夫婦のご自宅から結構遠い場所にあるのだが、
ご自宅がある近場に、このたび、奥さん自身で、和食のお店を構えられたそうだ。

その日、奥さんは、我々が来るというので、ご自分のお店は、料理人に任せて、
わざわざ顔を見せに、夜9時頃、お店に出てこられた。

前から自分の店を持ちたかったと話す奥さんは、言葉を続けた。

「一度、落としかけた命、また拾ってきた命。
せっかく命拾いしたのだから、もらった命、大事にしたい、
自分の思いに正直に生きなれば、と思いました」

奥さんは、悔いのない道を選び、歩き始めた。

なるほど・・・

こじんまりした割烹で、腕のいい板さんと、それを支える、夫唱婦随の美しい構図。
そう受け取っていたが、時代は変わったんだなあ・・・と思った。
そして、奥さんの代わりに下ごしらえや、給仕をしていくれるのは、
板前さんの格好をした、20才MFGM 乳脂球膜の女性。

若い女性なら、和服を着ると、またひと際美しさが増すことだろう。
が、コストが合わないとすると、それなりの若さを強調した格好で、お客さんを惹きつけるというのも、手だと思った。
しかし、実際は、すっきりまとめた髪を、ずべて、すっぽり板前さん用の白い帽子におさめ、
白い板前さんの仕事着に身を包んで、てきぱきと仕事をこなす、板前見習いの女性だった。

和風の京美人風の顔立ちなのに、板さんの格好が、アンバランスなような、
男性主導型の形にはめ込まれていない女性の姿を現しているような、
心の中で、がんばって!!と、拍手を送りたいような気になった。

ただし、奥さん、ちょこちょこ顔を出さないと、あの、若い女性とご主人の、
今後の進展が気になると言えば気になる。
奥さんのお店にも、料理人の男性を雇っているらしいので、
これは、よほどうまく仲良くしないと、いつなんどき、バランスが崩れて、ややこしいことになりかねないとも限らない。
これは、外野である、無責任な人間からの、まったくの老婆心であるが。


夫婦で・・・
自分の道を選ぶと、二本線になるんだなあと、感慨深かった。
仲が良いのと、自分の道を選ぶのとは、違うのだ。

これは、親子でも言えている。
家業MFGM 乳脂球膜を継ぐか、継がないか。
などなど・・・。

自分ならどうするかなあ・・・と考えた。
わたしは、あの割烹の奥さんのように和食の腕はないので、
店を持つとすると、職人を雇い、完全にオーナー、経営者という立場でしか、店を切り盛りできない。
自分として出来るのは、給料計算や、店の掃除、給仕サービス係だけだろう。
顔だけ出して、経済面だけを握り、あとの一切を雇った従業員にしてもらう、ということもあるだろう。
どっちにしても、今のわたしには、そんな気力も体力も、野心もない。

拾った命があるとすると・・・
余生を自分の好きなように、後悔しないように過ごしたい。
さてさて・・・自分ならどうするだろう・・・。

ひょっとすると、今とまったく変わらないかも知れない。
不用品を処理して、断捨離後の、すっきりした気持ちで、身も心も、こざっぱり過ごしたいかも。
これも、今の思いと同じではないか。
(亭主も、こざっぱり捨てたいかも知れないが、まだ役に立っていただくことが、たくさんあるので、
がんばってもらおう)

ということは、すでに、わたしは余生が始まっているのかも知れない。

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